黒澤酒造


穂積天神 | 山恵錦
  

ホタルやオニヤンマが翔る風景

小海線の軌道のわき、穂積天神に広がる小さな水田。そこには、黒澤酒造の社員たちが自ら育てている酒造好適米が育っています。10年ほど前、長い間放置されていた水田を譲り受け、新たな息吹を吹き込むために手入れを始めました。しかし、放置された場所を同じように水田として復活させるには努力が必要です。特に、水持ちが良くなるよう土壌を整えるのに苦心し、10年経った今も課題は残っているといいます。水源の辺りは夏にはホタル、秋にはオニヤンマが生き生きと舞う姿が見られることから、新たに米作りを再開するなら、農薬や化学肥料を極力減らす方針にしました。ホタルの生息地は清浄な水の中ということがよく知られていますが、オニヤンマの幼虫も同様。小川や湧水で5年ほどを過ごすため、水田周辺の水がどれほど安全かを示しています。そうして、2023年には完全に無農薬となりました。化学肥料を使わず、除草剤も使用しない。更に、種も温湯消毒を施しました。一般的に、種に消毒を行なっていることは知られていないのではないでしょうか。種に病原菌が付いたままだと、もみが発芽するときに病原菌も繁殖し、苗が病気になってしまうことが多く、日本で流通している米には種子消毒をしているものがほとんどなのです。温湯消毒とは、60度のお湯に10分間、種籾を浸す方法。これによって、病気のリスクが減少し、農薬を使用せずに成長を促すことができます。

しかしながら、農薬を使用しない場合、雑草の増加が目立ち、夏にはとにかく雑草との戦いになり、特にヒエには困っているといいます。ヒエとは米農家にとって最も厄介だといっていいほどの雑草。初心者だと見分けがつかないほど稲とよく似ていますが、取きれずに成長していくと稲の成長が妨げられ、収穫量が確実に減ってしまうのです。「昨年はヒエが過剰に繁茂し、稲も共に倒れてしまいました」と蔵人たちは苦労を振り返ります。長く米作りに携わっていてもこういったことが起こるのですから、栽培の難しさは並大抵のことではありません。その後はヒエ対策の時期を早めるなど、試行錯誤しながら無農薬栽培に取り組んでいます。

長野県で生まれた山恵錦

長野県農業試験場は、2003年から山田錦に匹敵する酒造好適米の開発に取り組んできました。ようやく2011年に「信交545号」という品種が誕生し、2014年には醸造試験が行われました。黒澤酒造は、まだ名前の付いていない「信交酒545号」の頃から八千穂美醸会(びじょうかい)で、この品種の試験的な栽培に取り組んできました。この会は黒澤酒造自身が2002年に設立したもので、約80人の会員が参加しています。会員たちは佐久穂の水田で田植えから稲刈りまでを経験し、収穫した米で仕込み体験が出来き、黒澤酒造ファンにとっては、1年を通じて酒造りに関わることのできる嬉しい集まりとなっています。この八千穂美醸会での栽培経験があるからこそ、現在の水田での育成が成功しているといえるでしょう。「信交酒545号」は、2017年の一般公募により「山恵錦(さんけいにしき)」と名付けられました。そして、この穂積天神町の無農薬水田で育てられているお米が、山恵錦。信州の山々からの恩恵をイメージしたという名前の通り、綺麗な水の中で心地よく成長していく様子が伺えます。

水田の管理を担当している社員は、酒造りの要員でもあり、醸造プロセスでは精米担当と、まさに酒造りは米作りからを自身で示している蔵人なのです。自社での精米は、害虫問題や維持費のコストなど解決しなければならないデメリットはありますが、精米歩合の正確さと醸造作業の見通し、白米水分の保持などメリットの方が多いといえます。ところがその作業はとても長時間にわたり、例えば50%まで磨く場合、300回ほど精米機を循環させながら徐々に削っていくため24~42時間ほどかかります。「9月に稲刈りをして、すぐに次の造り仕込みのための精米作業に入ります。ずっと酒造りに関わっている感じです」と社員が話すように、春に酒造りが終わればすぐに水田の作業に取り掛かかなければなりません。本当に1年中米を見ていると言っていいでしょう。「粒の大きさや心白の大きさなどを自分で確認できるのは良いですね」と自ら育てた米を自分で精米することは感慨深く、米の重要性を感じているようです。

力強い『生酛 黒澤 純米吟醸 自社栽培 山恵錦』

黒澤酒造は1858年に創業され、その歴史は長いものとなっています。1898年には事業を拡大し、創業者は5人の息子に事業を分割しました。長男は銀行業、次男は呉服業、三男は酒造業、四男は味噌醤油醸造業、五男は薬種卸業を担当しました。その中で、酒造業は6代目の黒澤孝夫(たかお)さんが引き継いでいます。他の事業は行っていませんが、当時の蔵は今も残っており、酒蔵の周辺を散歩するだけでもタイムスリップしたように歴史を感じることができるでしょう。特に、蔵を改装して作られた酒の資料館は見どころが多く、酒造りの工程がジオラマで説明されており、先人たちの知恵と情熱、ロマンが再現されています。

この蔵のすぐ裏手に、無農薬で栽培された山恵錦が育っています。酒蔵に近いため、酒造りに用いる水と同じ千曲川の水を利用しています。酒造りと米作りに同じ水源を使用しているということはまさに相性抜群なのではと思いましたが「山恵錦は生酛と相性がそれほど良いとは言えない気がします」と孝夫さん。黒澤酒造の酒造りの殆どは生酛で仕込みます。蔵内に付いている自然の菌を取り込むことによって醸造していく生酛仕込みは、米の性質によって大きく左右されます。それでも完成度の高い仕上がりにするのが弟である洋平(ようへい)杜氏の手腕です。『生酛 黒澤 純米吟醸 自社栽培 山恵錦』は生酛特有の複雑な乳酸の香りが特徴。柑橘類のような爽やかさと穀物感を併せ持ち、キリリとした酸、アルコールの刺激と苦みで引き締まり、パンチとボリュームのある味わいです。2年熟成でもまだまだ角があり若い印象。もしかしたらあと数年、さらなる熟成によってさらに素晴らしい味わいになるのでは、という潜在能力を感じさせます。山恵錦×生酛の組み合わせが、今後どのような進化を見せるのか、黒澤酒造の示すことになるでしょう。

生酛 黒澤 純米吟醸 自社栽培 山恵錦

生酛特有の複雑な乳酸の香りが特徴。柑橘類のような爽やかさと穀物感を併せ持ち、キリリとした酸、アルコールの刺激と苦みで引き締まり、パンチとボリュームのある味わいです。さらなる熟成によってさらに素晴らしい味わいになるのでは、という潜在能力を感じさせます。

黒澤酒造株式会社

Kitsukura Sake Brewery
北八ヶ岳山麓 千曲川最上流の酒蔵

千曲川最上流の蔵元として冷涼な気候、澄んだ空気、そして良質な千曲川の伏流水を生かし安政五年の創業以来、地域に根ざした清酒造りを行っている。原料米は全量を長野県産米に限定し、自社栽培など農業と深く関わりながらの酒造りを行っている。伝統と経験を大切に新たな発想と挑戦を続けている。通常の倍の時間をかけて酵母を育てる伝統製法「生酛造り」の奥行きのある、旨味のある骨太な酒にこだわり続け、食事に寄り添えるおかわりしたくなる酒を目指している。

長野県南佐久郡佐久穂町穂積1400
TEL:0267-88-2002
蔵見学:不可(酒の資料館入館無料)

黒澤酒造株式会社
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